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2011年12月

「待っててね!」と私に言った中畑氏がホントに監督になってやってきた〜!

私は中畑監督の現役生活の晩年をしっかり覚えている世代です。
ジャイアンツ、いや球界のリーダー的立場で、華があり、
明るく、ハンサム、しゃべりもファンへのアピールもうまい。
もしかして、私にとっての初代「ザ・プロ野球選手」は、
中畑選手だったかもしれません。

中畑選手引退後、私もだんだんとオトナになり、
過去の「ワン公事件」を知ったり、コーチ時代の
駒田選手との確執などといった報道を目にするようになると、
「まぁ、あの時代を巨人の中心選手として生きてきた中畑が、
 明るい『だけ』のヒトであるわけはないんだろうなー」

と、ちょっと冷めた目で見るようになっていきました。
そして、2004年のアテネオリンピックは、
多くのプロ野球ファンのみなさんと同じように
「監督、中畑かよぅ(笑)」ってな感じで見ていたわけです。

そして、2008年の北京オリンピック。
家族が中国に赴任しているので、現地で見ることにしました。
すると、なんと滞在中、訪れた飲食店に中畑氏がいました。
有名人風を吹かせるでもなく、こそこそするでもなく、
深夜の客の少ない店内に、私の知っている「中畑清」が
そのまんまそこにいたので、すぐにわかりました

食事を終えると、「さぁ、そろそろ行きましょうか」と中畑氏。
「監督、中畑かよぅ(笑)」ってな感じでアテネを見ていた私ですが、
そこはやっぱりプロ野球ファン。本人がすぐ近くにいるとなると、
プロ野球選手に対する敬意とか畏れのようなものがジャマをして
何も言えず、店の出口に向かう中畑氏をただ見ているだけでした。
すると、隣の席の日本人のグループが「中畑さんですよね」
「写真撮ってもいいですか」と、中畑氏を呼び止めました。
中畑氏は、やっぱり中畑清のまま、あのまんまで対応してました

私たちも気がゆるんでしまい、隣のグループに便乗。
私の家族は、中畑氏の自伝を読んだことがあるそうで
ミョーに中畑情報に詳しく、「安積商業高校時代の
交通整理のエピソードに感銘を受けました!」とか、
小ネタを交えて握手を求めると、「キミ、詳しいね!」と、
これまた中畑清のまんまの調子で応えてくれたのでした

そのころ、私のなかで中畑氏の印象といえば、
「『監督』をやりたい人。とにかく、やりたい人」
というのも、NHKの『ようこそ先輩』という番組で、
「先生の夢はプロ野球の監督になること」だといって、
中畑氏が「監督になるぞー、オー!」と子どもたちの前で
連呼していたシーンがすごく印象に残っていたからです。

どさくさまぎれに、私も中畑氏に握手を求めました。
そのときに、「『監督』はいつですか?」と聞いてみました。
まぁ、いま思うと、野球教室に参加した子どもじゃあるまいし、
監督をやりたいやりたいと言いながらチャンスが
めぐってきていないその張本人に、大人が直接聞くような
ことではなかったのですが、中畑氏が発するいい人オーラに、
つい、調子に乗ってしまいました…。

すると、中畑氏は、
「すぐだからね。待っててね!」
と、私の顔を指差し、答えてくれたのです。

中畑氏がこっちを向いて「待っててね!」って言うシーンが
しばらく夢に出てきそうなくらい、強烈なインパクトがあったし、
うわぁ〜、中畑、いい人だぁ〜!と感動も感謝もしました。
しましたが、私は中畑氏に言われた通りに待ってはいなかった。
なのに、待ってない私のもとに、
中畑氏が監督になってやってきたよお

もう、陽気で人のいいおじさんであるだけで、
ファンをよろこばすことはできません。
北京のあのときとは違い、私が求めるものも、
いまは「結果」です。でもなんでしょう、
「待っててね!」マジックでしょうか、
それとも諦めみたいなものなんでしょうか、
自分でもいまいちよくわかりませんが、
かなわないカッコ悪さを気にもせず、
監督をやりたいやりたいと言い続け、
57歳でその夢をかなえた中畑監督
を応援し、
ベイスターズを強くしてくれる日を「待って」みようかな…。
いま、そんな気持ちが沸いてきています。

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今度はベイスターズが村田をしょんぼりさせるぞー2

村田選手を初めて見たのは、2003年の春季キャンプ。
オープン戦が始まり、村田選手も出場しましたが、
期待のルーキーはその試合で結果が出ず。
記者やファンに囲まれるなか、
わかりやすいくらいにしょんぼりしていて、
球場を引きあげる背中が小さく見えたものです

あまりに気の毒で「次々! がんばれー!」とかなんとか、
声をかけました。ういういしくって、声かけやすかったなぁ…

▼ 宜野湾春季キャンプ、ルーキーの村田選手

Photo_2

地方での試合を観に行ったときに、
偶然飲食店で、村田選手を見かけたことがありますが、
その日の試合で結果が出ていないこともあって、
やっぱりどこかしょんぼりしていました。

あと、究極のしょんぼりは北京オリンピック
家族が中国にいることもあって現地に観に行ったのですが、
日の丸の重さに加え、打撃でも守備でも精彩なく、
金メダルどころかメダルそのもののピンチ…という状況のなか、
ホテルに引きあげてきた村田選手は目に力がなく、
カバンがズリ落ちそうなほど肩が落ち、それは小さく見えました

▼目がうつろの、北京での村田選手

1

そんな感じで、いま「生」の村田選手を思い出してみると、
なぜかしょんぼりしていた姿ばかりが思い浮かびます。
ベイスターズファンとしては、心配したし、
どうにかして元気づけたいと思ったものですが、
これからは同じリーグの敵チームの選手。
村田選手をおさえこんで、今度はベイスターズが、
村田選手をしょんぼりさせてしまおうではありませんか!

それが、村田選手によって、心に油性マジックで、
「応援しているチームは優勝争いできないチーム」と
書かれてしまったベイスターズファンからの挑戦状であり、
9年間の感謝をこめたエールでもあります

今シーズン、20本塁打のうち、
セ・リーグ相手に打ったのが15本、
そのうち7本がジャイアンツ戦だったことを知って、
「ジャイアンツキラーの川口がジャイアンツにいってどうする」
と言われていたことを思い出したりしましたが、
そんなことももう心配したりしませんわよ。

サヨナラ、村田。
しょんぼり顔にしちゃうから、
顔洗って、待ってろよぉ〜!

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今度はベイスターズが村田をしょんぼりさせるぞー1

まさかの中畑監督就任とは違い、
村田選手の移籍は心の準備をする時間があったせいか、
がっくり、ぐったり、あぁ〜ん(涙)っていうほどの
衝撃は受けてはいませんが、やっぱり、
四番打者が同一リーグに移籍してしまうのは、
ショックだし、残念であることには違いありません

移籍表明の会見でベイスターズのオフィシャルネクタイをしめ、
球団に感謝の気持ちを述べ、ニコリともしなかった村田選手は、
やっぱり「まっとう」で「ちゃんとしている」選手だな、
と思いました。いろいろな評判や見方もあるでしょうが、
それは、私が長く村田選手に抱いていた印象でもあります。

村田選手は、「村田が打たなかったから負けたといわれる
ような選手でありたい」と、勝敗の責任を背負う覚悟
を語って
いたことがありますが、その姿がまさに私にとっての「男・村田」。
だから、昨年オフ、その「男・村田」路線のまま、
「ファンのみなさんに迷惑をかけた」といってFA権を
行使しなかったことも(その背景に事情や計算があったとしても)、
その言葉はとても心地よかったし、いいぞ村田!と思ったものです。

球団もまだ落ち着かないし、監督人事もすったもんだ、
それに4年連続最下位のチームが、すぐに強くなっては欲しいけど、
そう簡単にはいかないことは、ファンだってわかっているし、
野球は団体競技であり、組織の戦いであることだってわかっている。
わかってんだから、点線の文字をくっきりとなぞるように
「優勝争いしたいから移籍する」なんて言わなくても…。

いや、「村田が打たなかったから負けた」という
村田の理論で言えば、村田が打てば勝てたんじゃん!

そう思うのは、私の「男・村田」観の勝手な押しつけや、
「男・村田」に裏切られた気がする私の八つ当たりかもしれませんが、
「男」うんぬん関係なく、やっぱり、主将で四番が
「優勝争いしたいから移籍」は口に出しちゃダメでしょう

弱小チームを去るにあたって、「優勝争いしたい」は、
誰もが納得してくれる言葉だと思って多用したのか
どうかはわかりませんが、村田選手ならもうちょい、
うまいこと言えたんじゃないかと思うからなおさら残念です。

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